サウンド・ミュージアム~マイケル・ジャクソン part3 [Sound museum, radio]
サウンド・ミュージアム~マイケル・ジャクソン Part3
Y:吉岡さん
ここからは、マイケルのヒストリーを振り返ってまいりましょう。ということなんですけれども、まあ、2時間40分ありますんで、マイケルのジャクソン5の頃から現在に至るまでのサラッと、本当にサラッとですけれども振り返っていきたいと思います。
N:(はい。)
Y:
マイケル・ジャクソンは(本名マイケル・ジョセフ・ジャクソン)
1958年8月29日にインディアナ州ゲイリーに生まれております。1958年昭和33年戌年ですね。(はい。)
N:
はい。あーそうですか、なんかーあの、この58年ていうのを僕はよく、花のゴッパチ(58)って言ってまして、(33年組みね)ええ、マイケル、マドンナ、プリンスと。
まあ、アメリカのポップスミュージックを変えた、引っ張っていったアーティスト3人がわりと同時期に生まれたというねーわりと同じような箇所で、なので凄く印象的な3人なんですけれど。
マイケルはちょっと特殊ですよね。彼は小学生になる前から兄弟たちとグループを組んで、ジャクソン・ブラザーズ、のちにジャクソン・ファイブみたいな感じで、お父さんお母さんの協力というか、
Y:
お父さんの引っ張り、引き上げみたいな感じですよね。
N:
お父さんはジョー・ジャクソン、ファルコンズというバンドでギターを担当されていたんですね。
JoeパパとRandy 、Michael 、Janet
↓
Y:
まあ、お母さんはその後先を見守るという形ですかね。(はい。キャサリン・ジャクソンさんですね。)
で、要はこの上の兄弟から下の兄弟まで、男兄弟6人。でまあ、マイケルが例えば65年だったら7歳くらいですよ。7歳っていったら小学校1、2年生ですよ。でそのころからすでに、お兄ちゃんたちと一緒に歌い始めているわけですよね。
で、どうも、一番歌が上手そうだと、なんとなく兄弟たちも感じるわけよね。
で、彼をヒューチャーしたほうがいいんじゃないかなってのが段々出てきて、まあそれが形になっていくと。
まあこれで結局ジャクソンファイブというグループが5人でできて、で最初は小さなインディーレーベル(スティールタウン)からシングル(“Big Boy”)を1・2枚出して、でまあ、それはなにもおこらず、ほとんどヒットもせずそうこうしているうちに、ほぼ同時期にモータウンからスカウトされモータウンと正式に契約が交わされると。(正式には68年7月)
でー、やはりモータウンレコードの社長ベリー・ゴーディ社長も最初に見たときは、「この子供は何なんだ。」と、
もうこの神童ぶりにびっくりするわけですよ。(そうですねー。)
ベリー・ゴーディ氏
そのマイケルとジャクソンファイブが、オーディションを受けるときにたまたま買ったばっかりの8ミリのビデオでその様子を記録していた。(デトロイトで。)
それが今ビデオとかでも正式に公表に公式に入っているんですけれど。(白黒のね。)
あれなんか見ると、やっぱりマイケル・ジャクソンて・・例えばあの踊りは明らかにジェームス・ブラウンのコピーですけれども。それでさえも凄さを出してますよ、ねぇ。
当時のVHS
JB
N:
そうですね。やはり、いろんな人の証言をみると、マイケル・ジャクソンていうのが本当にある種の模倣の天才といいますか、見たものを吸収して自分の中に取り入れるということに関して子供の頃から並々ならぬ力を持っていた。
あと、今の感覚ではこれはまったく推測できないくらいなんですけれども、当時やっぱりビデオもないですし、
テレビを見たとしても今みたいに何度も何度も繰り返しスローにしてみたりとか、ちょっと気がついたらインターネットみてみたりとか、そういうことがまったく出来ない時期なので、だからそのー、見逃したらもう終わりだし
Y:
たぶん一回見て覚えちゃうんだよね。マイケルのジャームス・ブラウンのコピーっていったけれども、今だったらそれこそね、ネットでyou tubeで何度も見れる、ビデオでDVDで見れるけれども。
たぶん彼は一回しか見てない、そのテレビのなんとかショーでみたジェームスブラウンのライブをみた、
N:
それかシカゴのリーガルシアター、アポロシアターいろんなところで、楽屋の横ちょで、ステージの横でまじかにみて勉強したことをそのまま真似してできちゃう。というそのパワーですよね。
J5 とドラマーの Milford 君(右) Regal Theater にて1968年
↓
Y:でまあその結果生まれるのがヒット曲という・・・最初のシングル4枚連続全米ナンバーワン。
N:すごいですね、未だに残っている名曲ですよね。
まあ、ヒットチャートの曲っていうのはいろんなパターンがあって、1位になったからといって偉いというわけではないのですが、それだけでは。でも1位になったうえでほんとにすべてがエバーグリーンでクラシックにになり、そういう曲で、ths is it映画の中でもマイケル・ジャクソンがメドレーでやってる曲ですよね。
じゃ、その曲でいってみましょうか
ジャクソン5でアイル・ビー・ゼア
まさに神童です
アカペラバージョン
有名すぎるCMバージョン
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
マイケルはジェームス・ブラウンはもちろん、ジャッキー・ウィルソン、サム&デイヴといったスターから影響を受けたと後にも語っています。レイ・チャールズの“A Fool For You”(95年J5の『Soulsation!』で公開)を、堂々と歌い上げていたことからも彼のR&Bへの傾倒ぶりがみえます。
65年に地元のタレント・コンテストで優勝した際に歌っていたのは、後にソロでも歌い上げるテンプテーションズの“My Girl”でした。こういうところからもこの頃からマイケルがいかにソウル・スター達から芸の技を真似、そしてその芸のためならとことん追求するタイプだったのですね。
ジャクソン5の時の、「アイル・ビー・ゼア」
大好きです~~!
昨日はJBの命日でしたね。。。
なのでビックリしちゃいました。
テンプテーションの歌久しぶりです。。。。
ガンミです^^♪
by COYOTE (2009-12-26 10:43)
part3もありがとうございます!
私もジャクソン5「アイル・ビー・ゼア」
大好きです~^^
それまでのABCとちがって
マイケルの神童ぶりが際立ってる作品の1つですよね。
初期の声もメチャかわいらしくて
感動しました^^
kachan さんありがとうございます!
by ram (2009-12-26 17:43)
確かに、昔は今みたいにビデオも普及してないのだから、それで全て吸収できるのは、やっぱ「才」なんですね。
今のミュージシャンやダンサーが上手いのは、ある意味たり前か~♪
by しんりゅう (2009-12-26 20:28)
COYOTEさん
あ!そうですねークリスマスに心不全かなにかで亡くなったんですよね。
テンプテーションズいいですよね。聴きくらべるとなるほど、と思いますね。
by kachan (2009-12-26 21:38)
ramさんありがとうです。
アイル・ビー・ゼアいいですよねー。誰にでも通じるメッセージ性が心をつかんでます。映画のthis is itでもこれ反則だよー、って思ったほどみんなの涙を誘いました。(少なくとも私は毎回ここで泣けた。。)
オーディションのマイケルかわいいですよね。動きとか切れがあるんだけど、またそれがけなげです。
by kachan (2009-12-26 21:43)
しんりゅうさん
そうなんですよね。当時のことを思うと舞台の袖が勉強だったんでしょうね。芸に対する姿勢が他の兄弟よりも貪欲っだったというか熱心だったんですよね、
マイケルはよく、アポロシアターなんかで自分が前座を勤めた先輩たちのところに行き、オーディエンスを魅了する術や奥儀を授かっていたといいます。(エンタ・ジョーンズ生前のコメントから)
by kachan (2009-12-26 21:55)
わ~オーディションの映像凄い~!!貴重ですね。
マイケルってこの頃から、もう完成されたステップ、リズム感、歌声はもちろん。これはもう“血”なんだろうなぁ。。。
ジェームス・ブラウンの映像も、マイケルが影響受けていることがよくわかってとっても興味深いです。
by aura-aura (2009-12-28 22:54)
裏声が、
子供とは思えないくらい、セクシーですね。
いつもありがとうございます。
by ちろろ (2009-12-28 23:19)
aura-auraさん
ありがとうございます
この映像すごいですよねー。これから何年も人々に見られるのでしょうね。
普通の子ではありえないです、こんなのは。。しかも今に比べると情報媒体の乏しい時代にこれだけ踊れる、完璧さはまさに天才の血ですよね。
by kachan (2009-12-29 08:26)
ちろろさん
わーい裏声に気づいてくれたのねっ!
そうなんですよねー。マイケルは大人になっても裏声をうまく使ってます。
でもこのころのような高い声は出にくくなっていたようでヒール・ザ・ワールドでさえ、映画バージョンではやや低くして歌っているそうです。
by kachan (2009-12-29 08:31)